2018年7月16日 (月)

Webコラム 吉富有治

未曾有の被害を生んだ平成の大豪雨
マスコミの目が届かない被災地区を取材した (下) 

  西予市は2004年4月に5町(宇和町・野村町・城川町・明浜町・三瓶町)が合併して誕生した、人口が約3万7千人の小さな地方都市である。気候は温暖な一方、台風の通り道としても知られている。私が生まれた明浜町は漁業やミカン農家を営む家が多く、西予市も一次産業や食品加工などの二次産業が盛んな街だ。
 
  今回の豪雨では西予市の中でも、特に野村町が大きな被害を受けた。町を流れる肱川が氾濫して5人の死者を出し、多くの家屋が水没。今も自衛隊などが必死の救助活動や復旧活動に励んでいる。私の故郷である明浜町宮野浦は死者こそ出なかったが、一部では山崩れが起きてミカン農家が打撃を受けた。

  その西予市の隣りにある宇和島市吉田町では、さらに深刻な事態に見舞われた。吉田町は、愛媛県が「みかん研究所」を設置するほど県内でもミカンの出荷量が最大の地域であり、愛媛のミカンと言えば大半が吉田町産である。その吉田町のミカン農家の被害は明浜町の比ではない。
 
  宇和海を望むリアス式海岸。この美しい海岸線沿いに位置する吉田町でまず目につくのは、到るところで山が崩れていることだ。高台から吉田町を見下ろすと、まるで大きな爪で引っ掻いたような山崩れの跡が1つの山だけで何本も見える。崩れたのは大半がミカン畑。中には壊滅状態の畑もあった。

  その吉田町の海岸線を11日、クルマで走っていると道の脇で車座になって何かを話し合っている15人の男性たちに遭遇した。聞くと、全員がミカン農家の方たちだ。皆さん、深刻な表情をしている。その中の70代の男性が口を開いた。

  「一昨日までこのあたりの道路一面が土砂で埋まり、クルマも人も通れない状況だった。そこで自分たちで手分けして泥土を端に寄せ、昨日からどうにか通れる状況になった。だが、誰かが『ここは国道だから、勝手な作業をやれば国や役場から文句が来るのではないか』と言い出したので、いまは作業をストップしてる。とは言っても、道路の土砂を取り除かないと仕事も生活もできない。あとで国や役場から文句を言われないために、どれほどひどい状況かの証拠の写真を撮っておこうという話をしていたんだ」と説明してくれた。

  今、豪雨の被害に遭った地域は緊急事態の真っ只中である。地元の人が生活道路を自力で補修したところで国や県が文句が言ってくるとは思えないが、それだけ不安と疑心暗鬼が人々の心に渦巻いているのだろう。さらに話を聞くと、当面の不安は補修に必要な経費を誰が負担するかのようだ。60代の別の男性が話してくれた。

  「ここには役場から被害の確認はまだ来ていない。人命が最優先だから、まずは人命救助と断水の復旧を急いでいるのだろう。われわれのようなミカン農家や生活道路の修復は後回しだ。そうは言っても、このままではわれわれも仕事はおろか生活もできない。ショベルカーやトラックをレンタルして自力で復旧するしかない。この費用は国や役場が負担してほしいが、出してくれないのなら自腹を覚悟するしかない」
 「正直、いまはミカン畑のことは考えられない。目の前の泥土を取り除くことで精一杯だ。しかし、ミカンの被害は甚大だと思う。少なくともわれわれの今年の売上はゼロだ」

  どうやらミカンの木々を植えた段々畑へと通じる主要な農道が土砂で破壊され、そこから枝分かれした各畑へ通じる農道には入れないのだという。つまりメインの農道が復旧しない限り、仮にミカン畑が無事でも水やりが必要な真夏の時期に農作業はできない。このまま放置すれば、甘くて美味しいミカンの収穫は難しくなる。生活道路の補修コストの不安に加え、生活の糧であるミカン畑すら壊滅状態。これでは平静な気持ちを保てという方が難しい。

  彼らの不安や疑心暗鬼はこれだけではない。なぜか他府県ナンバーのクルマに目を光らせているのだ。豪雨の被害がメディアに出始めた8日あたりから、ツイッターでは「大阪ナンバーのクルマに乗る窃盗団がいるらしい。注意してください」という情報が吉田町や広島県で拡散され、一部では地区の回覧板にも同種の情報が回し読みされたという。私が乗るクルマも、その大阪ナンバー。やはり、疑われたようだ。50代の男性が言う。

  「最初、あんた(注・吉富)のクルマが目の前通り過ぎたとき、大阪ナンバーだったので実は全員が身構えた。でも、誰かが『あの運転手は人の良さそうな顔している。ドロボーじゃないと思う』と言ったので、『そうなのかなぁ』と一応は安心はした。けど、それでも念のため、ナンバーは控えさせてもらったけど」

  そこで私は、それは広島でも流れているデマ情報で、宇和島警察も広島県警も公式に否定していると説明すると、みな一応は納得してくれた。だが、それでもある男性は「いや、俺の知り合いが昨日、警察が大阪ナンバーのクルマを追いかけているのを見たと言っていた」と真顔で語り、心底から納得しているようにも思えなかった。生活と仕事の不安は、デマをデマと見分ける冷静さすら奪ってしまうようである。
 
  愛媛県や広島、岡山などの被災地では行政、鉄道会社や電力会社、またボランティアが復旧作業に励んでいる。断水して風呂はおろかシャワーすら浴びられない人たちのために、自衛隊は臨時の仮設風呂を何か所かに設営した。ここ愛媛県明浜町や吉田町でもいずれ停電や断水も直り、通行止めの道路も開通するだろう。しかし、被災した人たちの心理的、経済的なダメージはボディーブローのようにじわじわと効いてくる。やむなくミカン畑を手放す人も出てくるかもしれない。

  そんな被災者のため国や行政は、そしてマスコミは何ができるのか。複雑な気持ちを抱えながら取材を終えた私は、深夜の高速道路を一路、大阪に向けて走らせていた。


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2018年7月13日 (金)

Webコラム 吉富有治

未曾有の被害を生んだ平成の大豪雨
マスコミの目が届かない被災地区を取材した (上) 

  西日本を中心に大きな被害が出た7月の大豪雨。警察庁の発表では12日現在、全国14府県で200人の命が奪われ、避難者数7085人、断水23万5000戸、家屋の被害は2万4150棟にも上った。そのうち愛媛県では県内で死者26名、行方不明者2名、大洲市と西予市、宇和島市、上島町の4市町の一部では計2万2415世帯が現在も断水が続いている。
 
  私は10日、その愛媛県の西予市明浜町を目指してクルマを走らせていた。明浜町宮野浦は私が生まれた故郷だ。今もこの一帯の集落には親類縁者が住んでおり、親類や独居老人のために食料品や日用品の支援物資を運びつつ、同時に災害取材をおこなうためだった。
 
  さて、四国の大動脈である高松自動車道から松山自動車道へとクルマを走らせていると、ふと気がついたことがあった。愛媛県や高知県など四国の各地に大雨が等しく降ったというのに、高速道路から見る風景は普段とまったく変わらないのだ。被害が大きかったはずの大洲市や西予市に近づいても、いつものように山々は初夏の濃い緑で覆われ、広がる田畑には稲がすくすくと育っている。ブルーシートで山肌を隠す場所もなければ、テレビや新聞で見るような被害は高速道路からはどこにも見当たらない。
 
  ところが、高速道路を降りて一般道に入り、山間部の峠道を走って親戚宅のある明浜町へ入るころには様相が一変する。ところどころに災害の傷跡が見えてくる。薄暗くて狭い道路の脇には倒れた大木や転げ落ちた岩が迫っている。山肌からは水が大量に湧き出す場所にも出くわした。どうやら災害はピンポイントで襲っている。大地震のように被害が等しく広がっているのではなく、今回の豪雨は一部の地域のみ被害が大きく、被害を受けなかった地区との差が激しすぎる印象を受けた。
 
  大規模な洪水に見舞われた野村の場合は原因が明確だ。水没した一帯の近くには肱川があり、タイミングを誤ったダムの放流が水害を招いたといわれている。だが、吉田町や明浜町の被害はなぜ起きたのか。川が氾濫したわけではない。山が崩れて泥と鉄砲水が流れ落ちてきたからだが、それなら他の場所だって山が崩れていいはず。だが、実際はそうなっていない。この点は今後、十分な検証が必要だろう。
 
  故郷の宮野浦は幸い、死者こそ出なかったが大規模な山の崩落が2か所あった。家が2軒つぶされ、駐車場に停めていたクルマ4台が土砂や瓦礫の下敷きになった。これほどの土砂崩れだから、さぞかし大きな音がしたのだろうと思っていたら、付近の人は轟音に気がつかなかったという。土砂崩れの場所から50メートルも離れていない場所に住む82歳の老人は「土砂崩れの音はまったく聞こえなかった」と証言し、ほかにも数人が同様の証言をした。つまり、大雨の音が土砂崩れの響きすら打ち消してしまったようなのだ。

 
  いったいどのような豪雨だったのだろうか。みかん農家を営む40代の男性は、「バケツがひっくり返ったという表現があるが、それでも物足りないくらいだった。7日夜、仕事で出かける必要がありクルマに乗ったが、ワイパーを最大にしても前が見えなかった。風が吹き、かなり大粒で激しい勢いの雨が長時間にわたって降っていた。そのうち山から流れる近くの小さな川があふれ出し、泥水が20世帯以上を襲って床上浸水の被害が出た」と話し、先の82歳の老人も「これまで生きてきて、こんな大雨の経験はない」とその恐怖を語っていた。

 被害は家屋の倒壊や床上浸水だけではない。無事だった家庭でも、しばらくは生活していくことが難しくなっている。

  高齢者が多いこの地区では、宇和島市内へ向かう複数のルートが通行止めのため、今も生活の足である路線バスがストップしている。寸断されていた一部の高速道路や一般道は通行可能となり、物流は回復して町のスーパーには日用品や食料品は戻りつつある。だが、高齢者にとって事情は違うようだ。70代後半の女性が言う。

  「路線バスが止まっているので、買い物に行けない。スーパーに食料品はあっても買い物に行く手段がない。バスは年寄りにとって唯一の交通手段。いまは冷蔵庫や倉庫に置いてある食料品を食べて暮らしている。早くバスが動いてくれないとクルマを持たない年寄りが困るだろう」

  また、「幸い、ここは断水こそしていないが、蛇口からは白く濁った水が出る。洗濯や風呂はいいが、飲水にするためには一度沸かさないと飲めない」という声も耳にした。私も確認したが、確かに水道水はわずかに濁っていた。

  豪雨の災害から約1週間。復興への道のりはまだまだ遠い。(つづく)

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2018年7月12日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

極刑臨んだリンちゃん父の悔し涙
無期懲役の判決
‐オウムの7人死刑執行と同じ日‐

  大変な豪雨禍に見舞われた先週金曜日。そこにオウム真理教事件の首謀者、松本智津夫死刑囚(63)の死刑執行の一報が飛び込んできた。続いて幹部6人、計7人の執行が明らかになった。取材に多くの時間を費やし、テレビなど 随分、討論してきた事件だが、私自身、大した感慨はなかった。

  公判途中で精神疾患に陥ったとされる松本死刑囚が今後、真相を口にする可能性があるなら、それを待つべきという考えもあった。といって、事件から23年、国民の8割以上が死刑制度を支持する国として、これ以上の猶予は許されることではないという思いもある。

  地下鉄サリンなど13事件、死者29人、負傷者6500人。平成で最も凶悪とされる事件は、実行犯の教団幹部13人の命をもって償う道以外ない。ただその同じ日、国際社会の厳しい批判の中、こうして死刑を執行する国に対して、いささか考え込まされることもあった。

  ベトナム国籍の小学3年レェ・ティ・ニャット・リンさん(当時9)に性的暴行を加えて殺害した同じ小学校の元保護者会会長、渋谷恭正被告(47)に千葉地裁の裁判員裁判は、遺族が願っていた死刑ではなく、無期懲役の判決を言い渡したのだ。

  手錠まで用意した被告に、口では言い表せない卑劣なわいせつ行為をされたリンさんだったが、父親のハオさんは「A子でもB子でもない、リンはリン」とあえて実名も映像も公開して極刑を願ってきた。

  一方で渋谷被告は「すべて間違っている」と全面否定。そのうえで「通学路で子どもが行方不明になるのは親の責任だ」とまで言い放ったのだ。

  だけど被害者が1人であるうえ、「計画性がなく、死刑がやむを得ないとは認められない」として、地裁は被告を無期懲役としたのだ。「悔しい」と涙を流す父親。この判決は、5月新潟で、やはり小学生の女の子を性的暴行目的で殺害、列車にひかせた事件の裁判にも影響してくるはずだ。

  あえて聞きたい。この被告に「生涯を全うさせる」と認める理由はなんなのか。

  ニャット・リンさんの「ニャット」はベトナム語の「日本」の意味。大好きだった日本。だけどこんな被告に死刑を言い渡すことのない、ニャットの国の死刑制度をリンさんはどんな思いで見ているのだろうか。

(2018年7月10日掲載)

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2018年7月 5日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

引き継がれる沖縄の戦後
‐悲劇知らない世代が伝えていく バトンの色を変え‐

  前回、大阪の地震にふれたので少し書くのが遅れてしまったが、沖縄は6月23日、先の大戦の組織的戦闘が終わったとされる慰霊の日を迎えた。今年も東海テレビの番組で、その少し前、那覇、糸満を訪ねてきた。

  今回の取材は沖縄戦の末期、地下壕の陸軍病院で負傷兵の看護に当たり、女生徒222人のうち123人が犠牲になった「ひめゆり学徒看護隊」。その悲惨さを後世に伝える「ひめゆり平和祈念資料館」の館長に、島袋淑子さん(90)に代わって、壕の悲劇を知らない戦後世代の男性、普天間朝佳さん(58)さんが就任したと聞いたのだ。

  それに修学旅行生たちに体験を伝える証言者も、いまでは島袋さんを含めてわずか7人。館ではこの方たちの体験を引き継いでいく説明員を養成、37歳の尾鍋拓美さんをはじめ3人の女性が学徒の遺影の前に立つ。

  風化するひめゆり、そして沖縄の悲劇…。

  だが、お会いしたみなさんの思いは違った。島袋さんは、この祈念館が国内の他の平和施設と違うのは、ひめゆりの生存者が自らお金を出し合い、寄付を募って開館したことだという。「だから館の全員に、早くからこの体験をだれかに伝えておかなければ、という思いが強かったのです」。

  その島袋さんから館長を引き継いだ普天間さんは、どうしても生存者のみなさんは、そのあと結婚する、お子さんが、孫ができる。そのたびに、亡くなったクラスメートに申し訳ない、という思いが強かったという。それが証言者から説明員に。「1歩踏み出して、この方たちが歩んできた女性としての戦後を客観的に伝えることもできるのでは、と思っているのです」。

  37歳、説明員の尾鍋さんは、これまで証言者は、ご自分の体験を話すだけだった。だけど説明員は6人、7人の生存者の思いをわが身に取り込むことができる。逃げまどい、友を失った現場には、米軍基地のフェンスが張りめぐらされている。「館で声高に叫ぶことはなくても、みなさんの、戦争は絶対にダメ、戦争は嫌いという思いは痛いほど伝わってきます」。そして「それは私たちの世代でも伝えられることだと思うのです」。

  戦争の終わっていない沖縄の戦後は、バトンの色を少し変えて、しっかり次世代へと引き継がれていく。 

(2018年7月3日掲載)

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2018年6月29日 (金)

Webコラム 吉富有治

学校に混乱を招いた市長の「休校」ツイート
~ 望まれる今後の検証と矛盾の解消 ~

  6月18日に発生した大阪府北部を震源地とする大きな地震は、高槻市で小学生の女子児童がブロック塀の下敷きになって亡くなるなど、痛ましい悲劇を生んだ。ただ、最大震度6弱を観測したにもかかわらず揺れの時間が約40秒と短かったため、ビルの倒壊などの大きな被害が出なかったのは不幸中の幸いだといえる。

  もっともこの日、大阪市では大阪市役所を「震源」とする別の問題が起こっていた。吉村洋文市長がツイッターで書き込んだ一言が朝の学校現場に混乱をもたらしたのだ。

  地震の当日、大阪市内の公立校は全校が休校となったが、市の教育委員会が学校へ周知する前に吉村市長がツイッターで、「全て休校にする指示を出しました」と投稿。これを読んだ保護者が学校へ問い合わせし、結果として各校で混乱を招いてしまったのだ。

  行政委員会である市教育委員会は市役所から独立した機関で、平時には市長から教育行政に関してあれこれ指示や命令を受けることはない。ただ、非常時は別だ。災害対策基本法には「市町村災害対策本部長は、当該市町村の教育委員会に対し、当該市町村の地域に係る災害予防又は災害応急対策を実施するため必要な限度において、必要な指示をすることができる。」(同第23条2の6)」と規定されていることから、災害対策本部長に就任した吉村市長が市教育委員会に対し「全校休校」の指示をしても問題はなく適法である。

  今回の地震で吉村市長はこの法律を根拠に、「市長である以上、子供の命を最優先する」「マニュアルを超えた超法規的措置」などと書き込み、自身の行動はあくまでも正しかったと主張した。だが、話はそう単純ではない。

  まず、市長から指示を受けた市教育委員会が、電話やメールを通じて各校へ休校を伝達したのは地震当日の午前11時を回っていた。一方、問題になった吉村市長のツイートは午前9時半ごろ。市教育委員会が迅速に対応していれば混乱は起きなかったのだろうが、それ以上に問題なのは、法律と市の防災マニュアルに混乱を招く矛盾が潜んでいたことだ。

  この点を明らかにしたのが、6月22日に開かれた大阪市議会教育子ども委員会だった。吉村市長のツイッター問題を議題に取り上げた自民党市議団の前田和彦市議が、市の地域防災計画(いわゆる防災マニュアル)と災害対策基本法の矛盾を指摘したのだ。

  市地域防災計画には地震などで学校を臨時休校にする条件として、午前7時現在でJR大阪環状線と大阪メトロの地下鉄が全面運休している場合と記されている。ところが、地震が起こったのは午前8時前。そこで吉村市長と市教育委員会は協議の上、このルールを拡大解釈して全面休校の判断を下した。

  だが、電話が通じにくい状況下で、各校の校長が市と市教育委員会が決めた拡大解釈など知る術もない。おまけに市地域防災計画には、地震などの非常時に臨時休校にするかどうかの判断は現場の校長に任せると記されている。加えて、災害対策基本法では、市長が市教育委員会に全面休校の指示まではできても、市長が各校に直接指示できるなどと明記されていない。

  以上のことから、校長の大半は、休校にするかどうかの判断は自分が決めるものと考えていたと推測できる。そこへ法律やマニュアルにない市長の"ツイッター指示"が飛び込んできたらどうなるのか。混乱するのは当然だろう。

  今回の問題について吉村市長は25日、職員どうしの情報共有や市民への発信に問題があったとして、今後は無料通信アプリの「LINE」との連携や、ツイッターを活用すると発表した。しかし、この問題は通信手段に原因があるのではなく、プロトコル(手順、約束)の不備なのだ。各校の教職員すべてが市長のツイッターをフォローしようが、非常時でも確実に届く通信手段を確保していようが、送信側と受信側、これら相互のプロトコルに食い違いがあれば混乱は収まるどころか、かえって大混乱を招くだけだろう。

  地震当日の吉村市長のツイートが絶対に間違っていたと言わないが、絶対に正しかったとも断言できない。大切なことは、二度と同じ混乱を起こさないことではないのか。そのためには今回の問題を検証し、将来起こるかもしれない大災害に備えることである。その点を吉村市長が理解し、今後の反省点にすることを望みたい。

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2018年6月28日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

あのときの小さなこと
-大阪府北部地震で思う-

  阪神・淡路、中越、そして東日本、さらには熊本。大震災の被災地はことごとく取材してきた。だが幸い被害は少なかったとはいえ、わが家のある大阪北部・豊中市が被災地になるとは思ってもみなかった。そしていま、しみじみ防災、減災は日々の小さなことの積み重ね、と感じている。

  地震のとき、私は東京。文化放送のラジオの打ち合わせの直前だった。豊中の自宅も事務所スタッフの家も、たちまち携帯は通話不能。番組を終えて、やっと話すことができた妻もスタッフも、ともに「怖かった~」。だけど家では物が壊れたりしたけど、けがはなし。一方、妻の話だと、この朝は普段おっとりした地域のみんながコマネズミのように走りまわったという。

  直後は余震が怖くてメールのやりとりだったが、それが収まると、最近、認知症が心配されていたおばあさんの家に。続いて少し離れた家には電話をかけ、近い所はインターホンをピンポン。たちまち顏なじみ十数軒の安全が確認されたのだ。わが家の向かいの奥さんの口癖は「絆なんて言うけど、私らには、お互いさまいう言葉があるやないの」。まさにお互いさまの朝だった。

  地震による死者5人のうち、高槻市の小学生の女の子を含めて2人がブロック塀の下敷きになった。思い出すと数年前、わが家の裏のお宅が「境のブロック塀に鉄筋は入っているけど、万一に備えて金属ネジで補強したい」と言ってこられた。だが、そうするとわが家の方にネジの下の部分がはみ出ると申し訳なさそうにいう。でも安全のためならノーはない。もちろん塀は、いまもしっかり立っている。

  高槻の女の子は気の毒としか言いようがない。「危険」とわかっていたというが、原因が地震だと責任追及は難しい。それより通学路に限らず、全国のブロック塀をすべて点検して2度と命が奪われることがないようにする。それが幼い命に報いる唯一の道ではないか。

  こうして原稿を書いているわが家の前の道路は昨年末まで「いつまでやってるんだ」の苦情噴出の中、〈地震に強い水道管に替えています〉の工事が行われていた。もちろん、この地震で漏水も断水もなかった。
 「あのときの小さなこと」が、じつは安全を支えている。いまあらためて、そんなことを感じている。

(2018年6月26日掲載)

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2018年6月21日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

「見える警備」で「見える安心」を
‐新幹線車内殺傷事件に思う‐

  「安全と水はタダだと思っている」。わが日本国民がそんなふうに言われた時期もあったが、さすがにいま、それはなさそうだ。とはいえ、安全には応分のコストがかかるという意識はまだまだ低いのではないか。

  「だれでもいい」とナタで襲いかかった男に立ち向かった男性の尊い命が奪われた新幹線車内殺傷事件。私も考えをコメントさせていただく一方、ほかの方の意見も聞かせてもらった。

  はっきり言って首をかしげるものも多かった。事件のとき、車掌が指示したようにイスの座面を外して立ち向かうのも1つの方法だ。だが大人が防御すれば、犯人は子どもや赤ちゃんに向かう。サスマタや警棒などの武器を常備したらどうかという意見もあったが、だれが管理するのか。凶悪犯の手に渡ったらより危険だ。

  航空機並みの保安検査という発言も多いが、何十カ所もあるターミナルの改札、乗り換え口に金属探知機と手荷物検査場を設置したら大混乱必至だ。こだま停車駅の設置を含めて東海道新幹線だけでも費用は膨大だし、保安要員は数千人が必要だ。実現不可能なことを口にしているとしか思えない。

  私は一貫して「見える警備」を主張しているのだが、みなさんの考えはいかがだろうか。JR東海も事件を受けてスマホで乗務員と会話ができる警乗員の増員を決めたが、はっきり言って中途半端だ。私は特殊警棒携帯、防弾、防刃ベスト着用のガードマンを全列車に乗務させたらとあちこちで発言している。2人1組、制服姿のガードマンが1号車からと、16号からに分かれて車内を巡回する。

  車掌は車内放送で、「この列車には2人のガードマンが警乗しています。常時車内を巡回し、緊急時には駆けつけます」とアナウンスするのだ。要人警護のSPが派手な動きでテロリストを近づけさせないのと同じように「見える警備」で犯行を抑え込むのだ。

  東海道新幹線は最繁忙期で上下433本。ガードマン1組が1日1乗務しかしないとしても人員は900人ほど。人件費は多くて約3000万円。1日50億円を売り上げるJR東海が出せないお金ではないはずだ。

  何より、何分か置きに必ずガードマンが巡回してくれる。乗客が求めているのは、眠っていても、見える安心、見える安全なのだ。

(2018年6月20日掲載)

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2018年6月14日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

犯罪被害者の思いを引き継ごう
‐「あすの会」18年間の活動に幕‐

  あすの会の「あす」の意味合いをしみじみと感じた1日だった。先日、「全国犯罪被害者の会」(あすの会)が東京で最終大会を開き、18年間の活動に幕を閉じた。

  山口県光市母子殺害事件の本村洋さん、神戸連続児童殺傷事件の土師守さん、桶川ストーカー殺人の猪野京子さん。お目にかかった被害者ご遺族は、私の事件取材の歴史でもあった。大会に先立って東海テレビ(名古屋)の取材で、会の幹事をされている土師さんにじっくりお話をうかがった。

  「いろいろあるけど、平穏で幸せな生活をしている人」がある日、悲しみの底に突き落とされる犯罪被害。土師さんの次男、淳君が事件に遭った当時、遺族は少年審判の傍聴はもちろん、処分内容さえ教えてもらえなかった。被害者は被告を有罪にするための「証拠の1つ」でしかなかったのだ。

  だが、会の活動で「犯罪被害者等基本法」という大きな成果も得られた。被害者は法廷のバーを越え、意見陳述どころか、被告に求刑することもできるようになった。犯罪被害者に対する給付金や後遺症に苦しむ人への医療費も、十分とは言えないまでも拡充してきた。会の趣旨に沿った自治体の支援センターも各地にできてきた。それらが会の解散の大きな理由だという。

  だが、手にしたこれらの権利は、すでに被害者となっている土師さんたち会員がその恩恵に浴することはない。あす被害に遭うかもしれない、事件から一番近い人たちが、事件から一番遠くに追いやられることがないように、すべてはあすからのためにあるという。

  だけど、犯罪被害者遺族は、いま新たな問題に突き当たっている。土師さん自身、事件から20年近くたって当時少年だった加害者が遺族の心を逆なでする本を出版、それがベストセラーになった。大きな事件が起きるたびに加害者どころか、被害者やその家族の悲しみに追い打ちをかける情報がネット上にあふれる。だからといって出版やSNSを規制すべきとは思わない。社会に「それはやってはいけない」「それはやめようよ」という風土が育っていってほしいという。

 あすの会のバトンをみんなが、「いろいろあるけど、平穏で幸せな生活をしている」私たちの社会が、引き継ぐときなのだ。

(2018年6月12日掲載)

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2018年6月 7日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

異常性癖と犯罪歴にがく然
‐津山市小3殺害‐

  発生から少しあとになったが、岡山県津山市を訪ねる機会があって事件の概要を取材させてもらった。女の子は学校から帰宅直後に襲われ、首を絞められて刃物で胸などを刺されていた。だが、高校生の姉が帰宅して発見するまで付近で不審者の目撃情報もなく、物証も乏しかったことから捜査は難航。その一方、市内のあちこちに手がかりを求めるポスターが貼られ、市民の事件に対する思いがひしひしと伝わってきた。

  事件から14年、岡山県警は04年9月、小学3年だった筒塩侑子さん(当時9歳)を殺害した容疑で岡山刑務所に服役中の勝田州彦容疑者(39)を逮捕した。だが事件解決にほっとする一方で、容疑者の異常性癖と犯罪歴にがく然としたのは私だけではないはずだ。

  勝田容疑者は15年、兵庫県姫路市で女子中学生を民家の塀に押しつけてナイフで刺した殺人未遂事件で服役中だった。刑期は10年。だが、それ以前の00年、明石市で小学生ら女児数人に暴行。津山の事件後の09年にも姫路市で少女5人に傷害を負わせて懲役4年の判決を受けて服役していた。

  中学生のころから自分の腹を刺す自傷行為を繰り返し、医師に止められると、その後は少女を狙い、過去の事件では「少女のシャツが血に染まるのを見たかった」。また津山の事件では「苦しむ様子が見たくて首を絞めた」と供述している。

  刑務所内で性犯罪者処遇プログラムを受けたこともあったが、出所するとまた女子中学生を襲っていた。そんな犯罪者が、今回の津山の事件が発覚しなかったら、40代後半で間違いなく社会に舞い戻ってくるのだ。

  もちろん罪を償った人に過去は問えない。だけど、これでは私たちの社会は無防備な少女の群れにオオカミを放っているようなものではないか。異常性癖者に対する厳しい処遇と通学路の安全確保。それをないがしろにして少女の安全はあり得ない。毎年のように、この子たちが元気だったころの歌声やお遊戯のビデオに、涙を流していてどうするんだ。

  勝田容疑者の自宅のある兵庫県加古川市では07年10月16日夕、公園から自転車で自宅に帰ってきた小学2年の鵜瀬柚希さん(当時7歳)が玄関近くで刃物で腹部を2カ所刺されて殺害された。発生から10年余り、事件は未解決のままである。

(2018年6月5日掲載)

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2018年6月 1日 (金)

Webコラム 吉富有治

2度目の住民投票が延期に このまま自然消滅というシナリオも

  政令市である大阪市を廃止して、代わりに複数の特別区を設置する、いわゆる「大阪都構想」。その是非を問う住民投票は2015年5月17日に実施され、反対票が賛成票を僅差で上回ったことで都構想は頓挫した。だが、2015年11月の大阪府知事選、市長選のダブル選挙で大阪維新の会が圧勝したことで、頓挫したはずの都構想はふたたび息を吹き返し、早ければ今年の9月には2度目の住民投票が開かれる予定だった。

  ところが、大阪維新の会は5月31日に開いた党の会議で、都構想を設計する大阪府市・法定協議会で「十分な議論が尽くされていない」ことを理由に正式に延期を決定した。

  ただし、住民投票を延期する理由は維新が言うように、必ずしも「十分な議論が尽くされていない」からではない。そもそも前回の住民投票でも十分な議論を尽くしたとは言えず、大阪市民に中途半端な情報しか与えないまま半ば強引に実施し、その結果、市民感情を賛成派と反対派に二分するような事態を招いてしまった。政令市を廃止するかどうかの重要なテーマを扱うのなら、半年や1年くらいの議論で十分なわけがない。

  維新が住民投票を延期した本当の理由は3つあると思っている。1つは、以前に比べて大阪市民の関心が低いことである。

  今年4月にNHKが実施した都構想に関する世論調査によれば、都構想に賛成する大阪市民は28%なのに対して、公明党が提唱する総合区と都構想に反対する市民は42%もいた。つまり、大阪市の行政区の改革も、また市の廃止も望まず現状維持を求める声が圧倒的に多かったのだ。

  この調子では、都構想に興味も関心もない大阪市民を対象に住民投票を実施したところで反対多数になることは目に見えている。勝ち目がないなら、やらないほうがいい。維新がこう判断しても不思議ではない。

  2つ目の理由は、維新の内部にも住民投票の延期を求める声が強かったからである。特に、維新の会大阪市議団から先送りを求める声が強い。大阪市は廃止される対象で、回り回って、自分たちも議員の身分を失うからだろう。

  2011年4月の住民投票で「橋下チルドレン」と呼ばれた多くの地方議員が誕生してから、来年で丸8年を迎えようとしている。その間、大阪維新の会は大阪府議会と大阪市議会で第一党の地位を築き、もはや押しも押されもせぬ立派な既成政党になった。チルドレンたちもベテラン議員に成長し、議員バッチを付けることに慣れてきた。

  ところが、維新にとって「一丁目一番地」の最重要政策である都構想が否定されると、維新の存在まで否定され、自分たち議員の身分まで危うくなる。「身を切る改革」を訴える維新議員たちだが、本音では現在のポジションにとどまりたいようである。

  そして最後の理由が公明党だ。大阪維新の会は府議会と市議会で第一党とはいえ、維新だけでは単独過半数に満たない。そのため住民投票の実施には公明党の協力が不可欠である。ところが、その公明党が今年の住民投票実施に慎重な姿勢を見せたため、維新も諦めざるを得なかったのだ。

  もっとも、公明党の大阪府議、大阪市議たちの大半は都構想に反対で、本音では住民投票などやりたくもない。このままずるずると延長が続き、住民投票が自然消滅することを望んでいるようなのだ。その伏線は法定協議会でも散見された。

  法定協議会を事務方としてサポートする大阪府・市の職員が、都構想の財政シミュレーションを法定協議会に出しきても、公明党の議員たちはその都度、細かい点を突いてくる。挙げ句、「これでは納得できない」と突き返す場面も多々見られた。

  こんな調子のまま法定協議会が進めば、それだけで1年や2年経っても議論は煮詰まらない。おそらく公明党の狙いは、維新が住民投票延期の理由に掲げた「十分な議論が尽くされていない」状態を延々と繰り返すことではないのか。

  ただ、維新の会も指を加えて黙って見過ごすとも思えない。前回の住民投票では、当初は住民投票に反対していた公明党の態度をひっくり返すために菅義偉官房長官に泣きつき、支持母体の創価学会から公明党へ圧力をかけたことがあった。維新は今度も同じ手を使うことは十分に考えられる。

  だが、2015年の当時と違って、モリカケ問題などで内閣支持率が下がり続ける安倍晋三政権にかつての勢いはない。また、安倍首相も今年4月に来阪した際、自民党の国会議員や府議、市議たちの前で「都構想には反対する」と言い切った。維新が裏で手を回して公明党を揺さぶることは難しいだろう。

  以上のことから様々な情勢から見て、最終的に住民投票は開かれないのではないかと私は予想している。

  しかし、それでいい。来年のG20サミット首脳会議や2025年の大阪万博など、大阪には課題が山積みだ。貴重な税金と時間を使って無駄な議論をするよりも、眼の前の問題を片付けることが先決だろう。大阪市民の多くもそれを望んでいるはずである。

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